January 2012
本当に、学ぶために「自分を閉じ込める」のが難しい時代になってきたような気がしますね。特にインターネットがごく日常的なものになってからは、学びに関してだけでなく、深く一つのことに関わることは、意識的な「選択と集中」をしないと、とてもできない。ツイッターの世界などに触れていると、つくづくそう思います。
(中略)
もしかすると、「自分を閉じ込めて深く学ぶ」という学び方以外の「新しい学び方」を、僕たちはもっとポジティブに模索し、受け入れていかなければならないのかもしれません。たとえば、「塵も積もれば山となる」ように、大きな目標達成のために、オープンでミクロな学びの積み重ねが可能なのか。個にとっては、どうなのか。教育的なコミュニティとしては、どうなのか。
” —
p245-246
ウェブで学ぶ ――オープンエデュケーションと知の革命 (ちくま新書): 梅田望夫, 飯吉透
(via sagaraya)しかし、そう意識した時点でもはや純粋には楽しめていない。
この男はもっとナチュラルだった。
「F1で優勝争いするまで楽しいことなんかあらへん」
enjoyはいらない。必要なのは使命感。自分のやるべきことだからすべてを捧げるのみ。
母国の美意識を心に宿しながら西欧の剣に日本刀が切り込んでいく。
男は人生の終わりにきっと思うだろう。あの過酷な日々こそ「楽しかったなあ!」と。” —曽田正人 オフィシャル ウェブ | WORKS | capeta カペタ (via kojiroby)
しかしそこのラーメンは身体に良いとは言えなかった。
化学調味料たっぷりのスープに豚の脂が一センチも膜をはって浮いている。
さらに冬場でもさほど湯気が立たない。
湯気は脂の膜が包んでしまうので立ちにくくなっている為だ。
そこへ常連の客はにんにくや胡椒を鼻がまがるほどぶちこみ、汗をだらだら垂らして飲み込んでいくのだ。
主人のおじさんは顔色の悪くなった常連客と並んで記念写真を撮る事がある。
画鋲止めにされたポラロイド写真は既に五十枚以上はあった。
「どうだすげえだろ、みんな死んじまってるんだぜ」
おじさんは写真を指さした。
「こっちのは肝臓ぶっこわしておだぶつだ。こっちも来年には死ぬだろうな」
そして比較的新しい写真に丸を描いた。
「ウチみてえな高カロリー、高蛋白、食塩過多、化学調味料過多のラーメンを
週に四回も五回も食ってみろ。
尻からラードが出るぜ。脂肪肝だって診断されて、身体に蕁麻疹が出ても
懲りずに食い来続ける奴は写真に残す事にしている。
これだって全部じゃないだろう。俺の知らねえとこで死んじまってる奴も
いっぱいいるはずだ」
おじさんはさらに続けた。
「それでもな。東京ってとこはそういう味じゃないと商売にならねえんだ。
手間隙かけていいもん作っても味にヒステリーがないと売れない。
何度か身体に良くて美味いものを目指したがそれじゃ駄目だ。
結局、毒じゃなきゃ美味いって言わないんだ。憶えてもらえないんだな。
変なとこだよここは。銭払ってまで毒食いたがる奴がウジャウジャいるんだ」
おじさんは指に挟んでいた煙草を床に捨て最後に呟いた。
「外食してもラーメンだけはよせよ」” —(via filemente)
かつて宮本常一が日本各地を歩きながら撮った10万枚の写真に度肝を抜かれた森山大道は、それら10万枚の写真は、誰もが目を奪われ時代を特徴づけるような「突出した出来事」には目もくれず、それらとは正反対の、いわばその裏側の「突出していない日本の場所を全部埋めている」と語った。つまり、今ではほとんどすべて忘れられた「日本人の」日常の暮らしの細部。
また森山大道は、それら10万枚の写真は、圧倒的に徹底的に「通過者の視点」であることを強調した。宮本常一は圧倒的に徹底的に「通過者」だった、と。「物狂いが日本中、巡っているという感じ」とまで評した。たしかに、宮本常一は無常観のなかで旅や念仏そのものを「住処」とするような俳人やある種の僧のごとく歩き続ける人生を送った。郷里といわれる山口県周防大島には定住したわけではなかった。
” —通過者の自覚 - 三上のブログ (via ginzuna)49:名無しさん@涙目です。(イギリス):2011/12/29(木) 14:58:50.53 ID:O7yTFbb+0
そう、日本人は礼儀正しいとか言われるけど、とんでもない誤解
マナーは相手を気遣う心から出たものじゃなくて、気遣われないとキレるキチガイが多いんだよ、この国は
東京の電車内なんて皆そういう空気を出しながらお互いに死んでほしいと思ってるでしょ
詐欺師は露悪なツラより笑顔の方がタチ悪い
51:名無しさん@涙目です。(林檎神社):2011/12/29(木) 16:52:39.00 ID:aL5I2mDR0
»49
そうそう
他人の目が怖いから大人しいんであって、心優しいからおとなしいわけではない